さて、その手の中にあったであろう無限の可能性ってやつについて考えてみた。

幼稚園児だったころの自分のお誕生日アルバムが出てきた。

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こんにちは、虹恋です。

幼稚園でお誕生会の時に渡される、お誕生日アルバム。

昔も今と変わらず、身長や体重、将来の夢や写真など記録されていて。

そして最後に「手型」があるのもお決まりで。

 

そこに書かれている、

「無限の可能性を秘めた、○○ちゃん6歳のてがた」のコメント。

 

無限の可能性を秘めているってのは、子供の手型につきもののコメント。

その6歳の自分の手型に、今の自分の手を合わせて、この位の手の大きさだったのか・・とお決まりのように感じていた私ですが。

 

果たして、6歳の私の手中には「無限の可能性」なるものが入っていたのであろうか。

幼いから、まだ子供だからって、そんな理由で無限の可能性を押しつけるのは大人の都合であって。そんな大人が無限の可能性を実際に目の当たりにした人は少ないのではないだろうか。

 

未来は決まっていない だとか、何にでもなれる可能性が だとか。

そう言う割りには、現実を見ろと否定するのも大人で。

 

今、娘を見て思うのは

その手に欲するのは、大人からの愛情かな・・と。

ハッキリとした夢がまだない7歳の娘にとって、周りの大人の愛情は関心ごとで。

私と手を繋いで嬉しそうな顔を向けるその温かな時間が、大人の私にも大きく影響していて。

無限の可能性というのは、その子の未来という訳ではなくて、その手が与えてくれるものの大きさなのではないかと思う今日この頃です。