あちらの気持ちが分からないから、こちらの勝手。だって生きてる私は人生が続く。
物事は何でも対極。光と影。月と太陽。静と動。喜びと悲しみ・・・
こんにちは、虹恋です。
年の瀬ですね。
この年の瀬に、親族の葬式がありました。
今年は、この他にも親族の葬式があり、悲しいかな親戚がよく集まった年です。
大人になると、子供の頃は夏休みや正月に会っていたいとこにもそうそう会うことはなく。「大人になると、冠婚葬祭でしか会わなくなるよね~」はもうご挨拶ですね。
しかし、実際「冠」や「祭」で会うことは少なく、「婚」もある一定時期を過ぎてしまうと、葬・葬・葬・・・。
最近は、結婚する人が減っている関係で、葬が圧倒的に回数が多い気がするのは私だけでしょうか?
葬式の最中に思いました。
今回は72歳の親戚のお葬式だったこともあり、参列者は親族も年配の人が多く。
参列したいとこも3分の1は未婚で、また子供達は連れて来なかった人も多かった事もあり、
「また一人親戚が一人減ってしまった」
その喪失感が意外にも大きかった。
先細って行く家族。
まさに日本の現状そのもの。
お経の長い時間は、色々と考えさせられます。
悶々と、色々と考えてしまいます。
葬式の空間で、何か感じた違和感。
懇々と流れるお経、泣く家族、耐えきれず舟を漕いでる人・・・
それと対象的な豊かな笑顔を見せる遺影。
虹恋の家族は変わっているのでしょうか?
「笑っている方が送られる人も嬉しいって」という言いわけ?をしながら
祖父母の葬式は比較的穏やかに終わりました。
そう言っていた世代が今度お葬式で送られる側になって。
そう言っていた他の人達も年をとってそんなワイワイやるようなのもなく。
私達の世代はなんだかその場にいるだけのような。
とにかくしんみりとした、ある意味「葬式」らしかった。
だからか、余計に遺影の笑顔が不思議で、違和感を感じて・・・
ところで、無くなった方は肺がんでした。
タバコを結構吸っていました。
だから、自業自得と言えばそれまでだけど。
でも。
最後の最後。激しく痛がって、救急車の中で痛め止めを飲むことも出来ない位に悶えて。少量のモルヒネ投与され、そして息を引き取りました。
神はなんてむごいのか。
最後にこんな苦しみを与えなくても・・
そう、思わずにはいられませんでした。
吸う人は、「別に長生きしなくてもいい」とか「吸ってんだから肺がんになったって仕方ない」とか注意すると言ったりしますが、
一連の人生を見て、私はやっぱり人間「生き方」よりも「死に方」が大事なような気がします。
どう安らかな最期を迎えるか。
それを考えると、逆に生き方が見えてくる。
それは、年の瀬だったり、平成の終わりだったり。
どんな年だったかを考えて、またどうしていくかを考えるのと同じ。
考えるのを辞めたら、ただの葦。
まだ火葬の最中だというのに、3日目、初7日法要のお経をやったり、
ただぼんやりと座っているだけのお経だったり、
それでいいのか?!と思う事は声に出すべきで。
先細って行く家族に潤いと元気を取り戻す。
私達の世代は、仕事が大変で、大変そうだね、大変だ。そんな会話が多くなりがちだけど、もっと馬鹿な話して、くらだん事でたくさん笑う、そんな元気と潤いを。
そう、
それでいいのだ。