アラフォーの私は20年後に60代になる。ちょっと立ち止まって考えてみよう。
来年の出生数が、来年70万人台になる可能性がある。(産経新聞)
こんにちは、虹恋です。
コロナです。生み控えというより、妊娠控えだそうだ。
(コロナ自粛で望まない妊娠相談が増えたと少し前には記事になっていたのに・・・)
少子化が常に問題として取り上げられるのが日常と化した毎日で。
今、一応生み・育てている世代の自分の周りには比較的子供がいて「世の中本当に少子化なんだよね?」とか思うこともあるからかあまり実感もなく。
この記事に
ふと考えてみた。
少子化がなぜ問題なのか。
子どもは国の未来。
つまり、働き手であり社会保障制度の大切な支えてなのだ。
かつて子供だった自分も今や貴重な働き手。納税をしこれからくる大量高齢化社会を支えるのだ。
そう、自分もそして高齢者となり支えてもらうのだ。
約20年後。
それってつまり、来年生まれてくる70万人の赤ちゃんたちに・・・・。
支えてもらえるのかな。
私の世代も子供の数は減ってきていたけれど、そんなに年の離れていない先輩がたはベビーブーム世代。
・・・。
少子化を考えることは、自分の将来を考えることなんだと
今更ながら実感した。
救える命、支えられる命は多くの人の手で支えなければ。
我々自身も多くの団塊の世代を支えつつ・・・。
片手の方や、両腕の不自由な人がいても、手が3つある人はいなくて。
手だけのロボットや脳だけのAI。
替えの利かない「種としての人間」に期待したい。
私たち、20代にみられるアラフォー世代です。
「40歳」と聞いて、どう思い描きますか。
こんにちは、虹恋です。
40歳というのは確かに、あるボーダーラインであるのでしょう。
女性で言えば、おばさんの部類に突入ですか!?
少し前なら美魔女扱いされ始めるのだって。
人生100年時代となっても、人生の曲がり角は50ではないのです。
さて、若者言葉が若者が生まれる度に代わるのと同じで、
40歳が新に作られる度に常識だって変わっているはず。
そうです。アラフォーのあなたへ。
周りを見て下さい。
自分の友人そんなに老けてますか?
今の時代一昔のように40歳はそんなに老けてませんよ。
・・・(もちろん一律ではありませんが。)
とは言えそれは私の持論。
定期的にSNSへ投稿する友人。
それを見て「老けたな~」「うちらももう40だもんな~」とつくづく思ったのです。
他人は鏡。
そんな友人の新規投稿。
「私、何歳に見えますか?」
「20代の子に言われたの。子供がいるなんて信じられなーい!20代いっても30歳くらいだよね~ってみんなで噂していたのに~って。」
「いえいえ私、40ですけど?運動して若作りメイクしてますが・・・」
私、虹恋は思ったのです。
子どもには大人の年齢は分かりません。
そして20代も思い描くのはなぜか「相変わらずの40歳」。
そのギャップが我々を若く見せてくれるだけで、40(になる)私からしたら彼女はしっかり「同じ年」。
「私、いくつに見える?」って質問自体が年取った証拠。
20代の子に「若く見える」って言う言葉に喜んでSNSに投稿しちゃう辺りが痛いけど、生き生き過ごす彼女にほほえましくもある。
私より若いはずの同僚が、カサついている。
男の影もないけれど、肌も髪もパサついいていて。
当然周りは彼女の方が年上だと思っているのだ。
肌も髪も人生も潤う努力が必要だ。
移ろう常識についていく努力も必要で。
一般常識なのに必死で勉強する不思議。
常識とは必死で身に着けるものなのだ。
年齢、カサつき、あっち側。
何もせずに手に入るものには魅力がない。
目じりのしわが気になり始め、いつになく洗顔、化粧水パックが丁寧になってきた今日この頃。
手入れした顔を見て、それこそが年齢を感じる顔だと思う。
(若いころは何もしなくても、やっぱい若さで乗り切れているのだ)
8歳の娘がいると知っている同僚上司からアラサーだと言われる虹恋も、なんだかんだやっぱりまんざらでもない顔を家ではするのだ(笑)
でもアラサーだったころの写真の中の私が言ってる。
「一緒にしないで」
あの頃はやっぱり若かった。
いまだ出し方の良くわからない「フェロモン」ってやつを出す努力を最近している私。
大人の魅力ってやつがまだ出ない。
ブルーリボンは映画賞、ピンクリボンは乳がん早期発見啓発運動。そして今、リボンはシトラスリボンへ
今では当たり前のウイルス、新型インフルエンザ。
季節になると「今年も新型インフルの季節が来たな」と思う。
それはもうじきお盆だなとか思うような、毎年の当たり前。
それでも、インフルエンザが新型になったのはたった11年前!(2009年)
あの頃も、今まさに起きているコロナでの同じような誹謗中傷があって。
あの時誹謗中傷された人たちは今どんな思いなんだろう。
あの頃の恐怖をまた思い出すきっかけとなってしまっただろう。
私たちは一体何を学んで日々を過ごしているのだろう。
なぜ同じ場所に立ち続けているのか。
戦争を知らない世代になるような長い時間じゃない。
ほんの11年。
それなのに繰り返されるこの悲しみは。
そんな中、シトラスリボンなるものが広がっているそうだ。
それは身に着ける事で、感染者やその家族、治療に当たる医療従事者らへの差別や偏見に反対する意思を示すものらしい。
素晴らしい取り組みも、その意味が知られていなければ何も効果はないということ。
この取り組みに賛同する意をもってここにお知らせとして載せておこう。
言葉も文字も、自分や他人を傷つけるか、愛するか、それは使う人に委ねられている。
一難去らずにまた一難。新聞を開くとどの〝難”を読むか選ぶようになりました。
初めての体験「大規模な緊急地震速報」
こんにちは、虹恋です。
午前9時44分 仕事中に緊急地震速報が流れた。
携帯が反応したことはあったが、会社の全館放送で流れたのは初めてで。
一体どんな大規模地震が襲ってきたのかと、恐恐とした。
結果として、強い揺れは観測されず難を逃れた。ほっ。
思った。
緊急地震速報はありがたい。
思った。
結果揺れなかったとしても、先に出すことの大切さ。
よぎった。
天変地異・・・
100年に一度の規模の河川氾濫が予知できても反映されなかった、ついこの間の災害。
地震については長い歴史を経てやっとここまで来てくれたのだ。これは我々の財産だ。この経験を広く応用して欲しい。
地震があった、緊急地震速報が流れた、そこが残りがちになるけれど。
緊急地震速報を流してくれた、そこの感謝を忘れたくない。
畳みかけるような災害にくじけそうになるけれど。
口角を挙げて、そして笑おう。
梅雨が空ける。まずは一つ一つクリアして。
猛暑が待ってる。
・・・人生100年時代。願ったのは誰?
ボケっとしてんじゃねぇよ! すみません、もう後半でしたか。
今週のお題「2020年上半期」
「今年も後半戦」らしい。
えっと・・・戦ってませんけど?
こんにちは、虹恋です。
不思議です。
2020年、始まりと同時にこの一年という時間の戦いに乗せられていたのですね。気が付かないまま後半戦に突入してしまいました。
前半ぼけっとして、攻撃を仕掛けずなんというロスでしょう。
とは言っても、私、本当にぼけっと過ごしていた訳ではありません。
子供の世話したり、仕事で職務を全うしたり、家庭のことしたり。
日常を日常に過ごしてきたのです。
でもいつの間にか「2020年前半」という戦いの場に乗せられていて、それを知ったのが後半戦が始まってからという、その間抜けさにショックを受けたのです。
さて、それを知って後半戦どう攻めましょうか。
知ったからには、2020年に対して挑まなくてはいけません。
相手は強敵です。
なんせ休むことなく挑んでくるのです。
対する私はどうでしょうか。
だらだらしたり、シャキッとしたり。
掴み所がなさそうです。
それに、私も生きることに対して休みがありません。
どでしょう、なかなかやりにくい敵ではないですか。
「時間」「コロナ」「雨」「熱中症」、今でさえ最適でもこれらの敵には戦っています。
今後も敵はどんどんやってくるでしょう。
一体ラスボスはどんなやつなんでしょう。
生きるってすごいことですね。
エネルギーが必要です。
食べて、寝て、笑って、動いて。
やっぱり日常を過ごしながらエネルギーをget。
後半にはついに未知なる40代を迎えます。それが2020年の全てじゃないでしょうか。
20才。
成人式のおかげで思い出せます。
30才。
うーん、30才になっちゃう!!って変にわちゃわちゃしたのは覚えてますが、結局覚えてません。
40才。
アラフォーって言葉は散々使わせていただきました。
コロナのおかげで思い出すことがあるかもしれませんが、結局はそこに至るまでの過程が大切なのかもしれませんね。
一応、目に見えぬ敵「時間」にエアパンチしておきたいと思います。
えいっ!
over the rainbow
「あの時、ああすれば良かったな・・・」
後悔先に立たず。
後悔も、生きていなければ出来なければ
やり直しが効くのも生きてこそ。
神様はこの先いくつの試練とともに、それに勝る喜びを用意していたのでしょう。
最後を決めたのは、自分だったのか、運命なのか。
ファンというわけではありませんでした。
しかし、訃報の一報にこんなに激しく動揺したのは初めてかもしれません。
何も知らないけれど、勝手ながらに「そういう人」に見えなかったから。
同時に彼の歩むことのなくなった未来を思って「悔しい」だとか「惜しい」だとかそういう気持ちが沸いて。
「人の気も知らないで」
本人はそう思うでしょうね。
でも。
生きていて欲しかった。
そう思ってる人が、本人が考えているよりもずっとたくさんいること、
亡くなってから、知らされても届かない。
私は、こういう死に対しての“遺族”の一人です。
あの人の死を悼んで集まった人たち。
あの人が残した大切な人たちが輝こうと頑張っている姿を見て
やっぱりこの未来を見なかったのはもったいなかったと思うのです。
そういう未来が待っていたはずだったのです。
ただ今はもう、生前にそう生きた人生を慈しんで、ご冥福をお祈りするしかないのです。
「突然ですが、明日有給取得します」
結婚記念日でした。
こんにちは、虹恋です。
11回目の結婚記念日でした。
虹恋夫婦の暗黙の出来事。
結婚記念日は有給取得、夫婦二人でデートする。
「すみませ~ん、結婚記念日なので明日有給頂きま~す」
堂々と宣言できます。
「お~いいね、ラブラブ」
「ごゆっくり~」
大抵そんな返しで有給円満取得。
60過ぎの上司たちに関しては反応は様々。
「君の世代ではそうやって結婚記念日をお祝いするものなのか。自分は結婚記念日すら覚えてないが」
「いいね~、ごゆっくり~」
いろんな反応でも、結局みんな嬉しそう。
色恋沙汰はいいネタです。
夫婦仲、家族仲が良いのは誰にとっても微笑ましい様子です。
あいにくの雨でした。
しかし、小雨程度の気温も湿度もそこそこで逆に過ごしやすく。
ランチのフレンチもおいしくて。
「いや~今日はいい日だったな」
夜、一人になった旦那さんの独り言。
隣の部屋にいた私に聞こえました。
それを聞いて、よかった良かったとこっそり笑った私です。
翌日出勤すると、
「昨日結婚記念日だったんだって?おめでとう」
出会う人が口々に言ってきます。
有名になっていた(笑)
入籍した、結婚した、って訳じゃないのに。
11回目の結婚記念日をお祝いしてきたらこんなことに。
幸せなことです。
年に1度の結婚記念日をお祝いする時間をとるだけで、夫婦の仲がこうやって円満に続くのなら、この日の出費や時間はお安いものだと思いませんか?
ちなみに虹恋は記念日とか結構どうでもいいタイプ。
旦那さんがそわそわします。
でも、やっぱりお祝いされて嫌な気にはなりません。
周りの反応がいいからだ、と思います。