早朝、私は一人この世界を満喫する。

花も夕方より朝の方が輝いて見える(写真は残念ながら夕方のアジサイですが・・・)

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 こんにちは、虹恋です。

 =朝に読むうた=

今日もアジサイが美しい。

みずみずしくて、景色を彩る。

あぁ、ここは紫だね。こっちは白で、こっちは赤。

同じ色でまとまって育つ。

ガクアジサイとは隣同士でもうまくいくみたい。

美し。

美し。

この世はカラフルだ。

 

アジサイってまるで人間世界だね。

同じ色で固まって暮らす。

違う色は近くでも別の集団でまとまって。

地球全体で見ればカラフルで美しいけれど、個々としては同色が望ましいみたい。

切り取られたら長くは生きられないんだ。

 

手も足もないアジサイは自分たちでは他のアジサイを傷つけないけれど

手も足もある人間は自分達で他を傷つける。

 

大切な人の所へ行くための足。

大切な人を抱きしめる手。

 

大切な人を守るために歩く足、

大切な人を守るために傷つける手。

 

私は足を使って朝を走る。

明けゆく空に手を広げ、つかみとれない何かをつかもうと手を伸ばす。

 

命は輝いて美しい。

言葉が人生を語るのならば、私はいかに自分本位なのか気が付かされた。

「人は死んだらどうなると思いますか?」

 

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こんにちは、虹恋です。

気が付けばもう4月も半ば。

早いですね。

まだ4月始まったばっかり・・・とため息ついた日は昔ですよ。

 

こうして日々が過ぎていく。

「40を過ぎると、急に体にガタがくるよ」

そんな言葉は学生時代よく聞いた。

今自分が40になって、ウォーキングを始め、最近は早朝(すこ~し)マラソンも始め体力がついたので、むしろ若返った気がしている。

こういう時、若返っているのは本当は「気持ち」だけなのだろうか・・・。

 

今、自分の死よりも、親の死の方が個人的には身近に感じておりますが、

死が自分にとってさほど恐怖になりえていないのは、

・まだ遠いと思っている

・見送った人たちの多くが「生きて」、私たちが「見送った」から

・健康で、基本的に幸せだから

そんな所でしょうか。

 

年を重ねた両親は、精神的にも肉体的にも衰えを感じるらしく

老いへの恐怖があると語る。

 

娘が幼い頃言いました。

「死んだらどうなるの?」「どこに行くの?」

それに答える形で自分なりに答えてきたけれど。

それが長年の私の考えでもあったのだけれど。

 

私は偶然目にしたキアヌ・リーヴスの記事に衝撃を受け、深く考えさせられまた。

「人は死んだらどうなると思いますか?」

あるTV番組で司会者から面白おかしく(軽い感じ)で質問されて。

しばし考え、深呼吸ののち返答しました。

 

愛する人たちが寂しがるっていうことは確かだね」

 

番組の司会者も観客も感嘆し感心したそうだが、虹恋も心動かされたのだ。

ハッとしたし、揺さぶられた。

死んだらどうなるのか、自分がどうなるのか、その視点しかもっていなかったから。

兄が死んだ時、そして今も両親はあんなにも悲しんでいるのに。

 

自分の周りにいる、遠くにいる愛する人たちへ、やさしさで包まれた寂しさを残せるように、今日からまた自分の行いを、行く道を歩んで行きたい。

 

それにしてもキアヌ・リーヴス・・・・

私の心をいつも掴むのね貴方は・・・。顔も好みなのでした。

子供ならではのくだらなさの大切さが、40歳になった今分かった気がする。

思い返してみれば、はっきりと記憶が連続でつながって思い出せるのは小学校3年生あたり。

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こんにちは、虹恋です。

今、小学3年生の娘の毎日が、小学3年生だった自分を連れてくる。

懐かしくて、可笑しくて。芋づる式に記憶からひっぱりあげられてくるクラスメイト。

あの子たちは今、どうしているんだろう。

 

探さないと分からない人ばかり。

 

逆もあるのかな。

私を思い出してくれている人がいたりして?

思わずググってくれてる人がいたりして?

 

・・・。

 

といって、出てくるような傑出した人も、悪いことをして名が出てくる人も知り合いにはいなかったけど。私だって出てこやしないけど、

そう思うと、日々やはり恥ずかしい生き方はできないものだな。

 

さて。

なぜか新聞、ネットなど記事の中で人の名前の後ろに(年齢)がついて回り、それを

思うと

虹恋(40)。

表すと、改めて自分って「いい年して」って言われる年齢だと自覚。

 

「いい年になるまで何してたんだ」

ごもっともですね。

何してたんでしょう。

少なくとも名を残すようなことはしてきませんでした。

 

「いい年して何してんだ」

そうですね、いい年してまで「子供時代に戻って」「子供と一緒に」「遊んで」すみません。

 

でも、年齢重ねるうちに、度重なる災害や、不景気につぐ不景気を経験して、

「いい」「加減に」年を取ることの大切さを身に沁みます。

「ごめんね」と言われたら、無条件に「いいよ」と返すことを教えられる幼稚園時代のように、ある程度のことは水に流せる技術と、精神力を子供のころに友達の間で喧嘩してでも身に着けておくことの大切さ。

 

子供が少なくて、遊ぶ機会が少ない上に、習い事が多くて、こういった技術を習得する機会少なく育つ今の子供達が、今後さらに加速するであろう災害や苦難に立ち向かわなくてはならない状況を作りだしているのは、いつだって私たち大人側なのだということを忘れてはいけない。

 

人生で余暇が大切なように、

子供の「くだらない」言動が大切。

 

きっと、そうよね?「おしりフリフリ」している娘のあれだって・・・

再び自分と向き合う為に、過去に戻るとしたら。

私は、自分の手が嫌いだ。
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こんにちは、虹恋です。

そうですね。
もう一度過去からやり直すとした、小学生の私。指をポキポキ安易に鳴らす癖をやる前に戻りたい。

はぁ~。
父よ。目の前でポキポキやる癖を辞めて。
兄よ。「こうやると、音なるよ。鳴らすと結構気持ちいい」って誘うのやめて。

あぁ。
中学生の頃には、おかげで指の節が太くなったこの手がものすごくコンプレックスになったのだ。

指の太さ男みたい。
指輪のなんと似合わない手か・・・

せめて。と、ハンドクリームで手をいたわり、ネイルをせめてして女性をアピール。

そんな私の手が、私より大きな旦那さんの手に包まれるとホッとする。
思えばそんな所も、自分に旦那さんが合ってると感じる所。

そして何より、
「ママのこの手がやっぱり一番大好き」
そう言って私の、このコンプレックスにスリスリ頬を寄せる娘が、自分を大切にする心をくれるのだ。

それでも毎日目に入るたびに、「はぁ~あ」と思うけれど。
旦那さんに手を繋いで貰いたいから。娘に安心して貰いたいから、今日も私は自分を労る。

女、40代。
自分を取り戻すことが、老後につながる大切な時代らしい。なんか分かる気がする。


40歳って?鬼門か何か?

さてと。

おめでとうございます。

ついに40歳になりましたね。

 

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こんにちは、虹恋です。

先日今年一番のイベント、「40歳になる」が無事完了いたしました。

驚きの発見がありました!

 

「40歳になるということは、何も変わらないことだ」ということです!!

 

あれだけ盛り上がる「アラフォー」言葉に勝手に何かを作り上げていたようですね・・。

 

改めて。

20歳、大人になりました。

30歳、まぁ虹恋は結婚済みでしたので、子供はまだかの重圧時代。

その後子供も無事生まれて、40歳。

受験とは無縁の小3の母として、むしろ平穏ではなかろうか。

 

とはいえ、30代から40代へとステップアップはしましたので、なんとなく話の盛り上がりの中で車通勤をやめ、徒歩通勤が始まりました!!!

 

やってみて分かりましたが家から約3500歩。25分程の片道通勤はちょうど良い。

昼の散歩も入れて毎日1万歩弱歩くようになりました。

もともとは2000千歩歩けば良かった程度の私です。

 

どんな変化があったかというと。

おなかが空く。

早く眠くなる。

 

今年は秋が長くて。

気持ちの良い毎日。

健康的な食事。

良質な睡眠。

うん、肌の調子もいいぞ。

 

娘と一緒に子供のようなサイクルで・・・。

そんな中でフェ・・・フェロモンだけは取り戻したい。

大人の色気ってなんだろか。ってか何のために出しとくんだっけ?。

派遣社員5年目。幸せ、感じますよ。

派遣で働く。

こんにちは、虹恋です。 
虹恋は派遣社員です。
大前さんと全然違って、資格はほぼなし。
今にしてみれば、私の最大の能力は「空間に溶け込む力」ではないだろうか。
周りとうまくやる力。だからと言って協調性があるとは評価されてこなかった。

個性的、変わってる。
子供の頃から私への周りの評価はそんな感じ。

きっとだからこそ周りとうまくやっていけるのだ。

今の会社に派遣されて今年で5年目。
その間に正社員は異動で全員入れ替わり、そして派遣やパートも去っていた。

5年目にしてこの部署を誰より知っているのは私である。
(熟知ではなく、ただ表面状の知ね。)

その間に何人が人間関係で体調を崩し、何人が泣いていただろうか。
そんな中で部署内係を配置換えと言いつつ、仕事を必然的に手伝わされながら
そしてうまく立ち回った自分に関心する。

そして、派遣法の3年を乗り切るきっかけとなった今の仕事に選んで頂いて

「今、私はとても幸せだ」


この幸せの中身を自分なりに考えてみた。
・ありがたいことに、派遣ながらコロナで仕事を自粛することがなかった。
・上司に信頼されていると感じることができる。
・私は派遣社員で、正社員のような「評価」がなく、そういう意味で気が楽。
・残業はほぼなし。有給だって取れる。
・つまり最高である。

ただ、コロナ渦で旦那さんの手取りが減ったのを実感すると、
やっぱりもっと稼ぎたい。
派遣であるのに手取りの時給はパート職員と同じ。
(ただ、パートは低い時給から昇級性であるのに対して、派遣は最大時給から始まるという利点)

昔、正社員で働いていたころ。
あの頃の給料も低かった・・・。
それでも今より稼げていた。
尊敬できない上司のどうでもいい評価。
責任だけは背負って働く若い大切な時間。
辞める理由は十分にある。
が、出産に伴う退職まできちんと働き通した。

それだからか、派遣を選ぶのには抵抗がなかった。
・給料が著しく減ったという感覚にならなかった点。
・同僚に期待しない点。
そんな適当な私が産後派遣社員として働き始めて2つ目の派遣先で、今の職場に出会えたのはラッキーである。
3年の派遣の壁と迎えた時、期限制限なしの今の仕事を依頼されて。

はっきり言って派遣会社の人はあてにはならない。
ただ、派遣先の上司に恵まれたのだ。

でももっと給料が欲しいな。
今お世話になっている会社ではない、今の部署、上司、同じ仕事に就ける保証があるのならこの会社の正社員になりたいと思うが、
正社員になったら、だからこそ選べないので。


定時を過ぎて、15分の残業が見えた終業5分前。
同僚と笑い自分のデスクを目指す足取りは軽く。
「あぁ、私、幸せだな」
そう、ふと思った私は

本当にすごい。
という自画自賛な話。
もしや、人生のピークかも。
意外と私の人生という山は低い山だった。

                  • かどうかが分かるのは未来の話。



VRのための装置がなくても、平面の数字から浮かびあがる事実がある。VRも事実も目を背けたら、見えない

61万2496人。

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こんにちは、虹恋です。

毎日毎日ページをめくる度に「えぇ?」ってなる記事ばかりで

一体なんなんでしょうね・・・。

 

さて。

冒頭の数は、文科省が小中高生を対処に実施した令和元年度のいじめ認知件数です。

いじめは2人に1人のがんと同じ。

自分にないとしたら、すぐそばにいるその子が受けている。

 

61万2496人。

認知されていない数だってまだまだあるはずで。

 

前回のブログで話題にしたけれど、

nijikoi.hatenablog.com

生まれてくる予定数70万人。

その大切な宝の数と同じだけの子供が今被害に遭っている。

その重い数を真摯に受け止めよう。

 

娘の話す内容も変わってきました。

○○君がみんなに嫌がらせする、○○ちゃんが自慢ばっかりしてくるから嫌だ。とか。

 

大人の私にしてみれば、「そんなこと人生においてよくあること」で、

だけどしかし娘には「はじまり」のこと。

これからきっと向かい合う問題が増えていく。

何もない子育てなんてあるはずがなくて。

 

いつまでも親らしく見えないのなら、子供がいるように見えないって言うのなら、

私は友人のように、だがしかし親として両手を広げて抱きしめて行きたい。

 

朝刊の投稿にあった。

 

「義母から主人の生まれた時の育児日記をいただいた。

そこからは初めての子育てに悩み喜び、日々のつらくても幸せな様子が伝わってくる。

体が弱くて、食の細い子供のために苦労した日々・・・。

 

今、私の隣にいる主人は、風邪など引かず、驚くほどよく食べる。

娘の送り迎えをし幸せそうに笑っている。

大切に育てられた命。

大事にしたい。」

命を見つめて。