子供ならではのくだらなさの大切さが、40歳になった今分かった気がする。

思い返してみれば、はっきりと記憶が連続でつながって思い出せるのは小学校3年生あたり。

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こんにちは、虹恋です。

今、小学3年生の娘の毎日が、小学3年生だった自分を連れてくる。

懐かしくて、可笑しくて。芋づる式に記憶からひっぱりあげられてくるクラスメイト。

あの子たちは今、どうしているんだろう。

 

探さないと分からない人ばかり。

 

逆もあるのかな。

私を思い出してくれている人がいたりして?

思わずググってくれてる人がいたりして?

 

・・・。

 

といって、出てくるような傑出した人も、悪いことをして名が出てくる人も知り合いにはいなかったけど。私だって出てこやしないけど、

そう思うと、日々やはり恥ずかしい生き方はできないものだな。

 

さて。

なぜか新聞、ネットなど記事の中で人の名前の後ろに(年齢)がついて回り、それを

思うと

虹恋(40)。

表すと、改めて自分って「いい年して」って言われる年齢だと自覚。

 

「いい年になるまで何してたんだ」

ごもっともですね。

何してたんでしょう。

少なくとも名を残すようなことはしてきませんでした。

 

「いい年して何してんだ」

そうですね、いい年してまで「子供時代に戻って」「子供と一緒に」「遊んで」すみません。

 

でも、年齢重ねるうちに、度重なる災害や、不景気につぐ不景気を経験して、

「いい」「加減に」年を取ることの大切さを身に沁みます。

「ごめんね」と言われたら、無条件に「いいよ」と返すことを教えられる幼稚園時代のように、ある程度のことは水に流せる技術と、精神力を子供のころに友達の間で喧嘩してでも身に着けておくことの大切さ。

 

子供が少なくて、遊ぶ機会が少ない上に、習い事が多くて、こういった技術を習得する機会少なく育つ今の子供達が、今後さらに加速するであろう災害や苦難に立ち向かわなくてはならない状況を作りだしているのは、いつだって私たち大人側なのだということを忘れてはいけない。

 

人生で余暇が大切なように、

子供の「くだらない」言動が大切。

 

きっと、そうよね?「おしりフリフリ」している娘のあれだって・・・