つまり、我思う故に我あり という事なのかしら。
心が狭いのでしょうか。
心に余裕がないのでしょうか。
こんにちは、虹恋です。
娘8歳になりました。ほぼなりたてです。
そんな子供は、“育児”と“子育て”の両方が必要で。
虹恋の家は一人子。
旦那さんは不定休。
おかげで基本ワンオペ〇〇ってやつで。
つまり私は"つきっきりの相手”ということです。
休日こそが稼働日。
個人的には仕事より育児/子育てが負担で。
自分のために使いたい有給も結局子供の行事で休むから。
「明日、ゆっくりしてください」
「3連休ですね!楽しんでください」
悪気はないってわかってます。
社交辞令で言ってくれてるの分かってます。
でもそんな言葉こそが心に負担です。
ゆっくりなんてできないし。
3連休もあって地獄だし。
それを再認識させられる負担。
それでも子供と向き合う不思議。
それでも子育てしていく不思議。
子供はこの国の、世界の未来だって。
いつの間にか未来を託された側から託す側に回った自分。
いつだって私は誰かの未来であり、過去である。
そして、自分だけが現在(今)を生きるのだ。
何度桜が咲き、散っただろうか。
何度富士山に雪が積もって溶けただろうか。
目の前の娘の成長が時を告げる。
はぁ、「生きて」いるんだ、私。
寝たい、読書したい、温泉入りたい、映画見たい、DVD何時間も見たい、自分時間でだらだらしたい、一人になりたい!
を、何度もしたい。