この、世界の片隅で

こんにちは、虹恋です。

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「孫育」なる言葉があります。

まぁ、大家族全員で子育てしていた時代とは違い、共働き世帯が増えるにつれ核家族化し離れていった自身の子供家族から孫を預けられて世話をする。古い育児知識をアップデートする大切さなどが取り上げられ、今よりずっと窮屈な時代と世間の中で苦労し終えた子育てが再び、違う波となって押し寄せるわけです。

 

そうした中で、当然といえば当然の成り行きなのかもしれないが。

成長した孫の教育に口を出す。

 

線引きはどこだろうか。

仕事なら注文先はベビーシッター。

大きくなれば塾やおけいこへと注文先だって移行するわけで。

 

おじいちゃんおばあちゃんとしての両親になにを望むのか。

それは、「受け止める腕」だ。

人生の先輩だからこそ大きく受け止められる、その安心できる腕の中。

そこが、消えていく。

 

親はいつまでも親で、子供はいつまでも親の子だ。

親はいつでもわが子を正そうとするし、諭そうとする。

でも、孫は子の子だ。

子に対して口を出すのは親にさせてくれないか。

 

孫育は親のやり直しの子育てではない。

 

こんな風に考える私を親が怒るのだとしたら、親は子育てに失敗したと思うのだろう。

だが、私は人生に満足していて、気持ちは前を向いているし、失敗した人生だなんて思っていない。

 

私のこの愛しい人生を「失敗」だなんて言ってくれるな。

この世に産んでくれたことを感謝している。

この、世界の片隅が私の人生の真ん中だ。